「茅ボッチ」って何?

茅と茅ボッチ

茅(かや)とは、イネ科のススキやカヤツリグサ科のスゲなどをひとくくりによぶ場合に使います。これらの植物は群生するため一度にたくさん手に入るうえ、茎が軽くて固く、しかも水分をはじく性質があるため、屋根材に多く用いられました。

そのほか、燃やしてできる灰を肥料にしたり、農耕の手助けをしてくれる牛馬の飼料にも利用しました。ちなみに、萱という字も「かや」と読みますが、漢和辞典によると、この字は本来、ユリ科のカンゾウ(萱草)の仲間を意味するようです。そういえば、日光市を代表する花、ニッコウキスゲは、漢字で書くと「日光黄萱」です。

ボッチとは、「ぼっちを押す」などの表現に用いられるように小さな突起を表しますが、そもそもは、積み上げられたようすをとらえた古い言葉のようです。茅を積み上げたものなので「茅ボッチ」であり、稲を手で刈り取っていたころ、干すためにまとめられた穂も「藁ボッチ」とよばれていました。

茅ボッチは茅を乾燥させるために作られます。旧栗山村では、秋のお彼岸が過ぎたころ、一気に茅を刈り取り、ボッチの状態にして数週間、干し続けます。乾燥したこれらの茅を、かつては屋根材のほかに冬場の牛の飼料や敷き藁などに使いました。

茅ボッチは秋の風物詩

日光市旧栗山村内を自動車で通ると、道端にススキの生い茂る草地があることに気付きます。それらも、もともとは茅を取るために管理されていた草原で、秋にはやはり茅ボッチの立ち並ぶ風景が広がっていました。周囲の山の紅葉とともに美しい景観の一部を成していました。

茅ボッチを見ると、深まりゆく秋を感じ、やがて訪れる厳しい冬を覚悟し始めました。

そういった様子を見て育った人びとは、心の風景として、懐かしさを抱いています。しかし、いまや茅ボッチが見られるのは旧栗山村内の土呂部集落だけとなりました。思い出をたいせつにして生活する地域の人びとのためにも、この風景は守り続けていかなければなりません。

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